10月10日の体育の日は、祖父の命日です。料理人だった祖父は、母が高校2年生の秋に亡くなったので、私は祖父の事は、モノクロの写真でしか知りません。でも、幼い頃から、祖父の話は、お父さん子だった母に良く聞かされていたので、祖父の事を思うと、優しい気持ちに包まれます。
明治生まれの祖父は、若い頃に大阪の「赤玉」という名前の洋食屋で修行をした後、暖簾分けをしてもらい、宮崎の日向にある港町で、旅館を営みながら洋食のお店を開いたそうです。体躯の良い人で、オーダーメイドで作った、真っ白い絹のパンツとシャツ、桐の下駄が、祖父のユニフォームだったそうで、学校の運動会や参観日にも、その姿で現れ、母を憂鬱にさせていたそうです。 当時は、今のような冷蔵庫はなく、合金屋さんで特別仕様で作って貰った赤胴大型物置にお肉を吊るしていたそうです。毎日、氷屋さんが大きな氷を届けてくれていたそうで、幼い頃、かくれんぼをしていて、その中に入っていた母に気付かず、外側からドアに鍵をかけられ、凍死寸前で見つけられた事もあったと、母は、笑いながら、時には顔を引きつらせて、話してくれます。 1日の大半を厨房で過ごし、お料理の開発に専念していた祖父。なのに、祖母は、七人もの子宝に恵まれたのだそう。笑。48歳にして突然の病に倒れ、あっという間に天国へと旅立ってしまいました。その後、長女だった母は、17歳にしてお店を引き継いだものの、様々な出来事が重なり、2年後にはお店を閉じてしまいました。一度も会った事のない祖父ですが、料理人としての祖父の血は、私に引き継がれ、更に私の中で磨かれていくのだと思います。母に言わせると、私が作る料理は、どこか懐かしく、祖父の味に似ているそうです。 祖父は、昔気質の生粋の洋食を作る人だったので、植物性100%で作る私の料理とは、 全く違うものだと思うのですが、お料理をしている時、不意に閃く感というか、お導きのようなものが時々降りてくる事があります。普段では、組み合わせないような野菜と果物を掛け合わせてみたり、今まで、使った事がないスパイスを振り入れてみたり。そして、時折、思いがけない、マジックが生まれたりします。。。 おじいちゃん、おばあちゃん、生まれてきてくれてありがとうございます。お父さん、お母さん、生まれてきてくれてありがとうございます。そして、私を産んでくれてありがとうございます。祖父の命日に、沢山の感謝を捧げます。ご先祖様への最大の供養は、ご先祖様から受け継いだ血液の最先端を生きる私達が、日々を感謝しながら、精一杯、生きる事だと言われています。例え志半ばで亡くなられたご先祖様がいらしたとしても、血族を引き継いだ今を生きる私達が、この世に生まれる事が出来た奇跡に感謝して生きていく事で、浮かばれるそうです。アメリカに住む私は、お墓参りにもなかなか行けませんが、日々の中で、ご先祖様に感謝する時間を大切にしながら、これからも生きて行こうと思っています。
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January 2024
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